夏目漱石の漢詩を鑑賞して参ります。
夏目漱石之漢詩鑑賞 第二十四作
木屑録詩並序 十四首 其之七
東北一脈蜿蜒横截房總者最高最峻望之峯峯嶮巉如鋸刄向碧空而列名曰鋸山鋸山之南端岐爲三中央最高者曰瑠璃峯其東梢低者曰日輪峯其西最低者月輪峯而日本寺在峯之中腹聖武帝時僧行基奉勅東下相比山曰是眞靈境也遂開山創寺建院十ニ坊一百(中略)余壯鋸山之勝迥異群山又觀羅漢之奇而悲古寺廢頽不脩斷礎遺柱空埋沒於荒烟冷雨中也慨然爲之賦
東北の一脈蜿蜒として房総を横截する者、最高最峻 之を望めば峯峯嶮巉にして鋸刄の碧空に向って列するが如し名づけて鋸山と曰う鋸山の南端、岐れて三と為る。中央の最高なる者は瑠璃峯と曰う其の東の梢低き者は日輪峯と曰う。其の西の最低なる者は月輪峯。而して日本寺は峯の中腹に在り。聖武帝の時、僧行基、勅に奉じて東下す。此の山を相して曰く、是れ真に霊境なりと。遂に山を開き寺を創り院十ニ坊一百を建つ。(中略)余鋸山の勝、迥かに群山に異なるを壮とし、又、羅漢の奇を観て古寺廃頽、断礎遺柱の空しく荒煙冷雨の中に埋没して脩めざるを悲しむなり。慨然として之が賦と為す。
鋸 山 如 鋸 碧 崔 嵬
鋸山鋸の如く碧崔嵬たり
上 有 伽 藍 倚 曲 隈
上れば伽藍の曲隈に倚る有り
山 僧 日 高 猶 未 起
山僧日高くして猶お未だ起きず
落 葉 不 掃 白 雲 堆
落葉掃わず白雲 堆し
吾 是 北 來 帝 京 客
吾は是れ北より来る帝京の客
登 臨 此 日 懷 往 昔
登臨此の日 往昔を懐う
咨 嗟 一 千 五 百 年
咨嗟す 一千五百年
十 ニ 僧 院 空 無 迹
十ニ僧院 空しく迹無し
只 有 古 佛 坐 磅 磄
只古仏の磅磄に坐する有り
雨 蝕 苔 蒸 閲 桑 滄
雨蝕 苔蒸 桑滄を閲す
似 嗤 浮 世 栄 枯 事
嗤うに似たり 浮世栄枯の事
冷 眼 下 瞰 太 平 洋
冷眼下瞰す 太平洋
【語釈】※崔嵬ー石や岩のゴロゴロしたさま。※咨嗟ーなげくさま。※苔蒸ー苔蒸すこと、此の語は漢語ではなく和語であろう。
◇ 七言古詩
【通釈】鋸の如き鋸山は碧空に聳え、登りゆけば伽藍は山の曲隈にある。山僧は日が昇っているのに起きず、落葉も掃かずに雲のように堆積している。僕は北の都より来た客だが、登りながら開山の昔を思い嘆いていた。沢山の僧院は跡形もなく、ただ古仏だけが坐っておられた。雨に腐食して苔蒸す所をみれば時代の変遷を見る思いである。栄枯盛衰をあざ笑うように冷ややかな眼で太平洋を見おろしている。
【補説】鋸山の荒々しい風景が手に取るように詠まれています。流石漱石先生です。
つづく
コメント