不孤のお休み前の論語 123

不孤の論語

論語 顏淵第十二~6

  お休み前論語^^123

子張問明、子曰、浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂明也已矣、浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂遠也已矣、(顏淵第十二~6)

○子張明(めい)を問う。子曰わく、浸潤(しんじゅん)の譖(そしり)膚受の愬(うったえ)、行われざるは、明(めい)と謂(い)うべきのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行われざるを、遠(えん)と謂うべきのみ。

 子張が孔子に明とはどういうふうに見れば宜しいかと問うところから始まりますが、明とは此処では見通しのきく人物ということで、皇帝に侍る高位高官が、じわじわとくる悪口(人をおとしめることば)や肌身にうけるような痛切なうったえなどに惑わされない人を明と言い、また遠くまで見通しのきく人物を明とおっしゃった。皇帝にそのような聡明な人物である事を言われたのだろう。

 われわれの社会生活でも程度の違いはあっても同じ事で、組織の長となる人はそういう聡明さが必要でありましょう。論語は無差別に開いたところの一章が実に参考になるのであります。

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