夏目漱石の漢詩を鑑賞して参ります。
夏目漱石之漢詩鑑賞 第三十七作
函山雜咏 八首
明治二十三年九月 (二)
函 嶺 勢 崢 嶸
函嶺 勢い崢嶸
登 來 廿 里 程
登り来たる廿里の程
雲 從 鞋 底 湧
雲は鞋底より湧き
路 自 帽 頭 生
路は帽頭より生ず
孤 驛 空 邊 起
孤駅 空邊に起ち
廢 關 天 際 横
廃関 天際に横たわる
停 筇 時 一 顧
筇を停めて時に一顧すれば
蒼 靄 隔 田 城
蒼靄 田城を隔つ
〔語釈〕※函嶺ー箱根山。※勢崢嶸ー勢は山の姿勢。崢嶸は山の険しいさま。※廿里ー実数でなく遠いさま。※鞋底ー足もと。※帽頭ー頭上。※孤駅ーぽつんとある宿場。※空辺ー空のあたり。※廃関ー関所の跡。※天際ー空の果て。ここでは長い時間も考えられる。※一顧ーちょっとふり向くこと。※蒼靄ーあおがすみ。※田城ー小田原のまち。
◇五言律詩 下平声八庚の韻(嶸・程・生・横・城)起句にも押韻している。
〔通釈〕箱根山は高く険しい。登り来た遠い道。雲は足下から湧き、急路は頭上に現れる。小さな宿場は山の稜線と空の境に見え廃墟となった関所跡は時空を越えて横たわっている。休息のため筇を止めふり返るとかすみが小田原城下を隔てるようにたなびいている。
〔補説〕筆者が入会して間無しの頃、お名前を忘れましたが、この詩の前聯を「こりゃ上手おでっせ」と叫んでおられたお方を思い出されます。が正岡子規は「前聯雖陳套亦可(前聯は陳套と雖も亦た可なり)」と朱評している。佳いのは佳いが古くさいと評している。この所に注目せねばならない。
※今この作を拝見しますと、矢張り上手いですネ。子規が古臭い表現と朱評するところも、頷聯・頸聯への引き立て役をする技巧とも思えますがどうでしょうか。
つづく
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