夏目漱石の漢詩を鑑賞して参ります。
夏目漱石之漢詩鑑賞 第四十一作
函山雜咏 八首
明治二十三年九月 (六)
奈 此 宿 痾 何
此の宿痾を奈何せん
眼 花 凝 似 珂
眼花 凝りて珂に似たり
豪 懷 空 挫 折
豪懐 空しく挫折し
壯 志 欲 蹉 跎
壮志 蹉跎せんとす
山 老 雲 行 急
山老いて 雲の行くこと急に
雨 新 水 響 多
雨新にして 水の響くこと多し
半 宵 眠 不 得
半宵 眠り得ず
燈 下 黙 看 蛾
灯下 黙して蛾を看る
〔語釈〕※宿痾ー長患い。持病。漱石は当時トラコーマを患っていた。※眼花ー目がかすむこと〔杜甫・飲中八仙歌〕「知章騎馬似乗船、眼花落井水底眠」。※珂ー白瑪瑙、ここではトラコーマの症状の一つで白灰色のぶつぶつのこと。※豪懐ー勇ましい心。※壮志ー壮んな志。※蹉跎ーつまずくこと。
◇五言律詩 下平声五歌の韻(何・珂・跎・多・蛾)起句にも押韻している
〔通釈〕この病をどうすれば良いのだ。トラコーマのため目はかすみ白瑪瑙のようなぶつぶつができた。勇ましい懐いも壮んな志もつまずくようだ。山は雲の流れも速く、雨によって川の響きが激しい。夜半まで眠ることができず、灯火に集まる蛾を黙って見ている。
〔補説〕明治二十三年八月九日付け正岡子規宛の書簡に「眼病兎角よろしからず其がため書籍も筆硯も悉皆放抛のありさま」「此頃は何となく浮世がいやになりどう考えても考え直してもいやでいやで立ち切れず」という一文がある。漱石はこの眼病に悩んでいたことが頷ける。
つづく
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